青ファーリーのにっぽん一周レポート

NO02 ランナー  こぐちょ  さん
バトンタッチ 受け取り 場所 : 神奈川県 → 東京都 (池袋駅前)
日時 : 2001年8月11日(土)  
受け渡し 場所 : 東京都 → 埼玉県 (池袋駅前)
日時 : 2001年9月4日(火) 
ル ー ト タンザニア キリマンジャロ周辺→タンガ
走 行 距 離 約1,000km


ファーリーのタンザニアツーリング紀行

期間 2001年8月14日〜8月25日
参加者 3名+1匹

2001年8月14日 11:35
 定刻で成田空港を離陸!かと思ったら、故障で滑走路から引き返した。30分遅れで離陸。

日本時間 8月14日 19:00
 シンガポール空港着!
 乗り換えまで時間があるので、タクシーで街へくり出した。
 シンガポールの事は全く調べていなかったのだが、口から水をぴゅーぴゅー吐いている時もある、頭がライオンで体が魚の「マーライオン」も見ることが出来た。
 空港に戻ると、「楽しいシンガポール旅行も終わり、帰国の途に・・・」という気分だったがタンザニアに行かねばならない。まだ24時間以上かかるはず、あきらめてデュバイ行きの飛行機に乗り込んだ。

日本時間 8月15日 10:40
 デュバイ空港着!
 デュバイはUAE(アラブ首長国連邦)の空港で、めちゃくちゃ豪華。

日本時間 8月15日 18:10
 ケニアのナイロビ空港着!
 10数人乗りのプロペラ機(自由席)にのりかえる。

日本時間 8月15日 20:45(タンザニア時間 8月15日 14:45)
 タンザニア、キリマンジャロ国際空港へ降り立った。
 日本を発って約33時間、入国審査も無事に通過し、預けた手荷物も全て到着した。
 今日はバイクには乗らずサポートカーでアルーシャ市内に移動し、ツアーの説明とスタッフの紹介を受ける。スタッフは社長兼サポートライダーのフレッド氏以外に、ドクター、メカニック、ドライバー、コックの計5名。医療面ではドクターの同行以外に救急飛行機を飛ばせる保険にも加入している。走行形式は、フレッドがバイクで先導して、最後尾をサポートカーが走行する。

2001年8月16日 8:30
 タンザニアツーリングがスタートした。
 午前中は舗装路、走り出してしばらくすると、ちょっと変わった衣装のマサイ族の人達と出会った。黒系の衣装で、頭に鳥の羽をつけている、マサイの戦士の予備軍らしい。
 せっかくなので一緒に写真を撮ることにした。
 ファーリーを持ってもらい、「これは旅するぬいぐるみで、バトンにして・・・」と全て日本語で説明した。なんとなく半分ぐらいは通じたような気がする。返してくれなかったらどうしようとも思ったが、マサイと一緒に暮らす、人生(羊生?)も良いかと無責任なことを思いつつ、マサイさんに青ファーリーを渡す。
 ファーリーはマサイさんにも好評だったようだ、撮影後にはちゃんと返してもらい、丁重にお礼を言ってお別れした。
 余談ですが、マサイさんの写真は基本的に有料で、今回も別れ際に同行のコックさんがお金を渡していた。また、写真を嫌う人が多い地域なので、必ず了解を得てから(他の地域でも同じですが)撮影して下さい、トラブルの元になります。

 マニヤラ湖でフラミンゴの群を見た後に、道端で昼食。
メニューは同行のコックさんが朝作っておいてくれたサンドイッチ、他にも、フルーツにジュースにコーヒーに紅茶とまさにピクニック。
 昼食の後は、夕食の買い物、今回は新鮮な鳥肉を買った。鳥肉は非常に効率的な保存方法で販売されている、今回は2羽の鶏が生きたままサポートカーに収まった。

 その後道はラフロードになり、マニヤラ湖を見下ろす丘でキリンを発見。とっても遠くて、言われなければ気がつかないが嬉しい。東アフリカの魅力の一つは、国立公園以外の道端でも野生動物と会える確率が高い事だ。

 夕方、ンゴロンゴロ自然保護区の近くのキャンプ場に到着。
 関係ない話だが、「ン」で始まる地名があるので、タンザニアでは「しりとり」が成立しない。
 食事の準備、バイクの整備、テントの設営を含めて全てスタッフが担当してくれるので、私たちは、ひたすらぼ〜っとしてるのが仕事。
 せっかくなので、鶏を絞めるところを見たかったのだが、気がついた時にはすでに、頭を落とされていた。さっきまで生きていた鶏は、羽を剥がれたころには見慣れた鳥肉になっていた。慣れてくれば生きた鶏を見て「美味しそう」っと思えるような気がする。2時間前まで生きていた鶏は、チキンスープとローストチキンになって私達の胃袋におさまった。
「いただきます」とは正に「命いただきます」のことで、命を絶った物に感謝して、無駄にせずに食べる事が大切なことを痛感した。

(本日の走行157km:キャンプ場泊)

2001年8月17日 
 5:00起床のはずが、5:30に起きた。
 午前中は車で動物見学の予定、6:00出発の予定が、7時前にやっと出発。
 ンゴロンゴロ自然保護区は隕石が落ちてきて出来たクレーターで、盆地の周りが全て丘になっている。人があまり住まなかった為か、野生動物が豊かなまま残ったようだ。
 今は大乾期で動物が少ない時期だが、それでも、ガゼル、カバ、象、ライオン、チーター、シマウマ、カバ、サイ等と会えた。

 公園内の水辺で昼食。メニューは同行のコックさんが朝作ってくれた、チャパティ(パンケーキのようなもの)。
 目の前の池にはカバがいて上空には鳶系の鳥が舞っている。
 感心して見ていたら、鳶君達は私たちの昼食を狙っているようだった。
 昼飯はともかくファーリーがさらわれると大変なので車の中に避難する。

 昼食後はキャンプ場に戻り、バイクに乗り換え、昨日来た道を引き返す。
 ホテル泊の予定だったが、ホテルが満室で併設のキャンプ場へ、まずは冷えたビールを頂く。と〜っても幸せな時間。
 ここの地名は、「ントリバー」蚊が多いという意味らしく、実際蚊が多い、そしてまた「ン」で始まる地名だ。
 夕食を待つ間にシャワーを浴びる。白かったファーリーもすっかり羊色になってしまったので、風呂に入れたいのだが、乾かないないと困るので、日本に帰るまでお預けとする。
 夕食は、同行のコックさんが作ってくれた、マサイさん牛肉とバナナの炭火焼き、バナナはサツマイモみたいで以外に美味しかった、牛肉は堅いがとても濃厚な味。

(本日の走行43km:キャンプ場泊、水シャワー、水洗トイレ)

2001年8月18日
 6:00に目が覚める。
 日の出を見学、日本だと絶対に起きられない時間なのだが、旅行に出るとなぜか、日の出前に目が覚めてしまう。コックさんも起きて、朝食の準備を初めている、話をしながら摘み食い。
 今日の走行はちょっと長めで250km、早めに出発する予定だったのだが、いつもの10時になった。
 路面は石が多く気を使う。また所々に、雨期に川になるのだろか、コンクリートで固めた部分がある。
 通常は、50cmぐらい下がるだけなのだが、1m以上下がっている所もあった、前のバイクが一瞬消えたので、気がついたが、自分が先頭だったら大ジャーンプ&転倒だろうか。

 昼食は食堂で飲み物を注文して、あとは持ち込みのサンドイッチ等、日本では信じられないシステムだが、持ち込み可のようだ。
 昼食後は再び走る。
 どうしてもバイクの方が早いので、日に何回かはサポートカーを待つ事がある。街でサポートカーを待っていると、人だかりになってしまった。観光客が少ない地域に入ったらしい、子供達と写真を撮ったりしながら過ごす。

 夕方、コンドアの街に到着、今日はホテルに宿泊。
 夕食はホテルのレストランでチキンライス。ピラフなのかと思ったら、チキンとライスだった、なかなか美味しい。明日から2泊はキャンプの予定、屋根とベットのある生活ともしばらくお別れだ。

(本日の走行234km:ホテル泊、温水シャワー、水洗トイレ)

2001年8月19日
 再び6:00に目が覚める。
 ホテルのレストランで朝食。
 今日は200kmぐらいの走行予定で、砂地が増えるらしい。早めにスタートする予定だったが、また、いつもの10時になった。

 街の食堂でサポートカーを待つ、ティーを頼んだら、スパイシーな味のティーが出てきた、生姜系の香辛料が入っているそうだ。
 そのまま、レストランで昼食。今回も同行コックさんの作品を持ち込んだ、「マンダジン」と呼ばれる、パンのようなもの。いつの間に作っていたのか気が付かなかったが、なかなか美味しい。
 ガソリンを補給し、15:00頃再スタート。
 
 まだ100km近くあるはず、日没までに着くのか不安だったが、その後は道も良くなり、18:00頃にマサイ族の集落に到着した。
 今日は集落の近で草原キャンプ。
 客3名にスタッフ5名だけでも多いのだが、今夜はさらに、マサイさんを雇って、夜間の警備をしてもらうことに。
雇ったのは3、4人のはずだが・・・・、集落に近いせいもあり、40名近い方々が、手伝ってくれたり、ただ見物していたり。
 今回は、なんとトイレとシャワー室も作ってしまった。
 トイレは枝で囲った中に穴を掘って、足場を枝で補強してある。シャワー室は木の枝を支柱にして周りをシートで囲い、お湯の入ったバケツが用意されている。
 住まいの設営も一段落したころ、山羊の悲鳴が聞こえてきた。 見ると山羊がマサイさんに連れてこられていた。どうも今日の夕食らしい。
 せっかくなので見物しに行く、現場に到着した時には、その山羊は喉を切られて既に絶命していた。そして、皮をはがれて、切り分けられる頃には、見慣れた肉になってしまった。モンゴル等のように、一滴の血もこぼさないわけではないが、流れた血は大地に吸収されやがて土に還るのであろう。大きな部分は、バーベキューにしている。薪はそこいらへん落ちている枯れ枝で、串もそこいらへんに落ちている枝を削った物。すべてが、すぐに土に還るものばかり、私もこんな生活を見習いたいものだ。

 料理を待つ間に、マサイさんの歌とダンスを見せてもらうことに。
 これは、楽器を一切使わずに声と呼吸音だけ繰り広げられる、とても神秘的な感じ。
 いつまで続くのだろうかっと思った頃、1人のマサイさんが、焼き上がった山羊肉を持ってダンス隊に近づいた。
ダンスはあっという間に終了し、いきなり食事時間になってしまった。なんかあんまり無理をしてもらってない感じで気が楽だ。
 さて最初の料理は山羊の内蔵のシチュー、これは臭いがきつくて殆ど食べられなかった、スタッフに代わってもらう。
 次はレバーと野菜の煮込み、これは美味。
 次にバーベキュー、これはちょっと堅めだがめちゃくちゃ美味い。
 マサイさん達は肉を食べた後、骨を割って中の髄を飲む、骨を歯で砕いてすするのだが、これがとても美味らしい。私がやると歯の髄を食べることになりそうなので、今回はあきらめた。

(本日の走行198km:草原泊、自作温水シャワー、自作トイレ:宿泊地名 TUFIKA)

2001年8月20日
 6:30起床
 ちょうど朝日が昇る時間、草原から昇る朝日は格別だった。
 何人かのマサイさんは徹夜で警備してくれたようだ、たき火を囲んで眠たそう。
 せっかくなので、マサイさんと写真を撮る事に、今回は時間があるので、じっくりとファリーの説明をしてみる、半分ぐらいは通じたような、通じていないような。私の言語力では、時間をかけても、相手の理解度は変わらないようだ。
 集落に帰るマサイさんを見送り、見送られ出発する。

 途中でサポートカーがパンクしたため、タイヤ交換の間に一休み。修理時間はちょうどよい休憩時間になる。
 せっかくなので撮影会をする事に。自称ウルトラマン乗や、2人+1匹乗り等を撮影していると、今朝のマサイさんが自転車で通りがかった。買い物に行くらしい、いったい何キロ先までいくのかわからないが、私たちの警備代金が生きたのかもしれない。

 昼食はレストランで、いつもの持ち込みサンドイッチ、このシステムにもだいぶ慣れた。
 途中、KIBIRASHの街で車のパンク修理、バイクのパンクは同行のメカニックが修理するのだが、車のパンクはガソリンスタンド等で修理する。
 修理を待ちながら、ジュースを飲んでいるとまた人垣が出来てしまった、この状況にもだいぶ慣れた、日本でもタンザニアの人達が大型バイクでツーリングしてたら、人垣が出来るかもしれない、案外変わらないのかも。

 今日のキャンプ地は小学校の校庭、いつにもまして人垣が多い、50名以上が見物している、慣れたとはいえ、着替えとトイレはちょっと恥ずかしい。
 食を待ちながら、地元の人達の歌とダンスが始まった、マサイさんのダンスとは一変し、太鼓と木琴が打ち鳴らされ、みんなで歌いながら踊っている、収穫を祝うダンスらしいが、女性が腰をクネクネと動かす場面がある、踊っているのも若い女性が多く「私の腰はこんなに動くのよ〜」と言っているようにも見える、全くの想像だが求愛的な意味もあるような気がした。
 歌と踊りが続く中、私たちは夕食を頂く、また今夜も一羽の鶏が鳥肉になった。
 夜もふけた頃、太鼓の音が止んだ、さすがに終わりにするのかと思ったら、太鼓の音が悪くなったので、焚き火で乾燥しているだけだった。
 寝るときは踊りを辞めてもらうからと言われたが、申し訳ないのでそのままテントに潜り込んだ、歌声を子守歌に眠りに着く。

(本日の走行135km:校庭泊、校庭のトイレを利用した温水シャワー、校庭のトイレ:宿泊地名 シンデニ(SINDNI))

2001年8月21日
 6:00起床
 キャンプ最終日だが、曇りのため日の出は見えなかった。
 6:00過ぎから生徒達が集まりはじめ、6:40から授業が始まった、早い。私たちに興味があるらしく、授業の合間には、校舎の窓が生徒で鈴なりになってしまう。私たちも興味があるのでちょうど良のだが、授業の邪魔をしているようで申し訳ない。
 ここの子供達はあまり写真を嫌がらない、一緒に写真を撮ろうと思い、私が走ったら、子供達が一斉に走って逃げ出した。中には転んでいる子供もいる、悪いことをしてしまった。子供達にとっては興味はあるけど、何をされるかわからない人間なのだろう、今度はゆっくり近づき、逃げた子供達も呼び戻し、やっと一枚の写真に収まった。
 朝食を終えて子供達に見送られながら出発。

 まじめに走るのは今日が最終日、国境のようなゲートを通って、軍が管理している地域を通過する。
 藪と轍がものすごい、最後にこんなコースを用意するなんて、さすがはフレッドと思ったのもつかの間、轍を無理に変えようとしたら、体とバイクの行きたい方向が異なり転倒した。藪を避けようとしてまた倒れた。でも、他の二人も倒れてくれたので、内心ほっとした。
 フレッドはこんな道をよく見つける。タンザニアツアーを始めるために、3回下見に来たそうで、基本的には地元の人たちに聞きながら、面白そうな道や宿を探すらしい。

 楽しい?道を抜けると、林の間から海が見えてきた、ちょっと別世界だ。
 その道はやがて川に突き当たり行き止まりになった。対岸には船で渡る、船と言っても道路の一部のような船で、バイクの固定もせず出港した。
 海岸沿いの木陰で昼食、メニューはいつものサンドイッチ、野外での昼食もこれが最後、味わって食べる。

 昼食後に約15km走ると今日の宿泊地に到着した、海岸沿いのコテージ形式の宿でとってもリゾート。
 フレッド以外のスタッフは近くの街に泊まるため、サポートカーから手荷物だけおろして、しばしのお別れ。
 一休みした後は海へ、透明度は悪いが、めちゃくちゃ暖かい、ぬるい風呂に入っているようで気持ちが良い。
 コテージのレストランで夕食、見た目が伊勢のようなエビ等、シーフード盛り合わせとココナッツライス、海沿いのせいか魚介類が豊富なようだ、美味しかったがちょっと多すぎた。
 今夜は波の音を子守歌に眠る。

(本日の走行138km:コテージ泊、水シャワー、水洗トイレ:宿泊地名 パンガニ)

2001年8月22日
 5:30起床
 まだ暗い、外に出てみると、星が綺麗、落ちて来そうな程沢山見える、
 せっかくなので、外に椅子をならべて、ぼ〜っと空を見ていると、白み始めた。他のメンバーも起こして海岸へ、雲が多くすっきり見えなかったが、少しだけ日の出が見えた。
 またひと眠りしてから朝食。メニューはいつものトーストにコーヒー等。
 朝食の後に椰子の実を割ってもらい飲んだ、ちょっと青臭いが美味しい、こんなに水分を蓄えているなんて不思議な実だ。

 午前中は海岸でぶらぶら過ごし、お昼前に出発することに。
 今日の走行はタンガの街までで、約20kmの予定。バイクでの走行はこれで最後になる。
 出発して20km走ったところで、タンガまであと10kmの標識が出ていた、距離と時間が予定と違うのは、いつもの事なのだが、ちょうど1.5倍でおもわず笑ってしまった。

 タンガの街に到着して、ホテルでスタッフと落ち合う、バイクはここまで、全走行距離は約940km。
 ホテルではフレッドリンク社の他のスタッフも出迎えてくれた、バイクはスタッフが運転して事務所のあるケニアのモンバサへ向かうそうだ。 私達はドライバーとフレッドと一緒にキリマンジャロ空港へ向かう。
 昼食のため、ホテルの隣のレストランへ入ったら、同行コックのジャロ氏が前菜を持ってきてくれた、他人の店でもよく働くと思っていたら、本人の店だった。ジャロさん自分の店持っていたのね!

 昼食後はサポートカーに乗り換えて出発。
 全て舗装路で約350kmの予定、順調に行けば5時間程の道のりのはず。
 日が傾いたころ、キリマンジャロ山が見えてきた、夕日とキリマンジャロはとっても綺麗。

 薄暗くなった頃、今日の宿泊地モシの街に到着、久しぶりに見る大きな街だ、ホテルはツインがUS40$、シングルがUS30$。今回の宿泊費、食事代等はすべてツアー費に含まれていたため、物価がほとんどわかっていないが、高級なホテルに入るような気がする。
 建物は古めだが、設備はしっかりしている、シャワーも温水が出た。
 ホテルのレストランで最後の晩餐となった、
 メニューはピザやスパゲッティ等、あまりタンザニアらしくない。
 せっかくなので、次回ツアーの打ち合わせをする。案としてはモザンビーク、ザンビア、タンザニア南部を組み合わせたコースで、2002年末とした。ファーリーの日本一周が終わっていなければ、また一緒に来られるかもしれない。

(本日の走行30km:ホテル泊、温水シャワー、水洗トイレ)

2001年8月23日 11:40
 キリマンジャロ空港を離陸、日本への到着は翌々日の朝、また30時間以上の旅が始まった。

っと今回のレポートはここで終わりになる予定だったのだが・・・
 シンガポールで乗り換え時間を利用して、中華街へ行った。
 果物の王様ドリアンをはじめ、散々飲み食いした後、空港に戻るためタクシーに乗った。
 すると、そのタクシーが他の車と衝突した。幸い双方とも怪我はなかったが、危うく別な意味で旅立つところだった。

●●● 後書き ●●●

 今回のタンザニアツーリングは、青ファーリーと一緒に行ったことで、より楽しめました。
 地元の人達と写真を撮る時も、ファーリーの説明をするので、少しだけ深く接することが出来たように思います。
 旅行を楽しめるかは、行った場所ではなく自分の気の持ちようだと思っていますが、同じ場所に行っても、ファーリーと一緒だと自然に積極的になれたような気がします。

 また、ファーリーの日本一周を見ていてくれる人達の分も楽しまなければ、という気持ちにもなり、皆さんとも少しだけ、時間を共有できたような気持ちになりました。
 藤原寛一さん浩子さんをはじめ、密かにファーリーの日本一周をご覧になっている方まで、ありがとうございました。

2001/10/28 こぐちょ

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