ヨーロッパの旅
イギリスの田舎町、スーパーで会った青年が撮影してくれた。
1991年5月20日、パリへ向かう飛行機の中で「イヤになったら10日で帰ってこよう…」と何度も思っていた。
計画通りヨーロッパをバイクで走ることにしたものの、初日の夜は初めてのドミトリー。
2段ベットの下の人からガタガタうるさいと怒られ、旅に対する期待よりも不安で一杯だった。
パリのHONDAでバイクを買うことが出来、パリを出発したときは、重い荷物、右側通行や見慣れない風景にとまどいながら、ギクシャクとバイクを運転していた。
小さなゴリラに跨り、全身から旅立つ嬉しさがにじみ出ている寛一とは、あまりにも対照的な姿…。
実は、この時の対照的なふたりがその後の関係を物語っているのだ…。「そんな事もわかんないのか!!」
「知らないんだもんしょうがないじゃない。だったら最初に教えてよ!!」
これが旅の最初の頃の私たちの会話。
いつもひとり旅だった寛一が、すべて初心者の私と一緒に旅することは、かなりのストレスだったようだ。
自分のペースはくずされるし、走りながらも運転技術の未熟な私をいつも気にしなければならない。
しかし、私としても必死である。
何もかも初めての経験で分からないことだらけ、だれも知り合いのいない異国でたよれるのは寛一だけなのだ。半分ギャグ、半分本気で私たちはこの頃のヨーロッパの旅を「殺意の旅」と呼んでいた。
でもそんなふたりの旅も、3ヶ月たった頃にはなんとか形が出来てきた。
ふたり旅というスタイルに慣れてきた寛一、なんとか最低限のことは分かるようになり、少しずつ旅の楽しさを分かるようになってきた私…。
今でも確信を持って言えるのだが、あのヨーロッパの旅が3ヶ月未満だったら、私たちの結婚はなかっただろう。と、こんなふうにふたり旅は大変でもあったが、バイクでヨーロッパを旅するということ自体は、思ったよりも大変なことではなかった。
私の運転は、寛一を何度もヒヤヒヤさせるような無知な行動も多かったが、それは、外国を走っているからではなく、ただただ私の運転に対する知識と技術が未熟なだけ…。
ヨーロッパの国々は道路がきちんと整備され、道幅も広い。(全部ではないけどね)
その上、人々の運転マナーは本当に良い。
ある日、ドイツの田舎道を走っていてふと気が付くと、私たちの後ろに渋滞ができていた。
なのに彼らはクラクションを鳴らすこともなく、反対側の車線に車がいなくなるのを待ち、きちんと私たちを大きく避けて追い越して行ってくれる。
ドイツではアウトバーンという制限速度なしの高速道路があり、そこでは思いっきりスピードを上げる性能のいいドイツ車にヒヤヒヤさせられることもあるらしいが、幸か不幸か私たちはノロノロ運転の50cc、アウトバーンを走れないのでそれは分かりません…。
日本に帰国して思ったが、はっきり言って日本を運転するよりもヨーロッパの方が断然楽である。そして、私を旅にのめり込ませたのは、旅先で会った人達である。
とりあえず最初にビックリしたのは、キャンプ場ですれ違う人達が、皆笑顔で「ハ〜イ!」と気軽に声をかけてくれる事。
英語が苦手な私としては、その後の会話が弾まないのだが、それでもそうやってみんなが笑顔で声をかけ合うというのは、何とも嬉しくなってくるものである。
ある日、イギリスロンドン郊外の町中を走っていたら、信号待ちで一緒になったアメリカンバイクに乗った怖そうなお兄さんに声をかけられた。
「オレの家に寄っていかないか!?」とのお誘いを、ちょっぴりビクビクしながらついて行くと、そのまま仲間を紹介され、家に泊めてもらうことにまでなってしまった。
楽しい時間が過ぎ、次の日の朝、彼と同居中の彼女と彼の友達の3人に言われた言葉が「俺達は今日仕事だからもう出かけなくてはならないけど、もしもう1日いられるのなら、このままいてくれていいよ。もし、出発するのならこの鍵をかけて、ドアの下に入れて行ってくれ!」あわただしく彼らと挨拶をして…、もらった鍵を眺めながら思った。
「私たちが泥棒だったらどうするんだろう!!!!」
旅先で親切にされた思いを次は自分が誰かに返したい、という話はよく聞くが、自分が実際に損得なしの親切にはじめて合ったときは、なんだか信じられないような気持ちだった。
その後もたくさんの人々の親切や優しさに支えられて、なんとか私たちの旅は順調に進んでいった。最初、飛行機の中で「イヤだったら10日で帰ってこよう」と思っていたのに、フランスマルセイユから帰らなければならなくなった時、「もっと旅を続けたかったなぁ〜」と素直に思っていた。
結局、この私の最初の旅は、いつの間にか7ヶ月にも及んでいたのです。旅に出て良かったと思った。
たくさんの人々と会え、いろんな風景を見て、忘れられない思い出ができた。
寛一との関係もなんとかおちついた形ができたし…。
なにより、寛一がどうして変わったのか、寛一のしていた旅が少し分かったような気がした。
そして、私もちょっぴり変わったような気がしていた…。
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